春色模様
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 小春日和だった。
 平日午後の百貨店の書店。あたしは電車が来る時間まで、新刊コーナーやコミックコーナーをぶらぶらとうろついていた。
 百貨店の一階と二階では、新春のセールが行われている。あたしもそのセール目当てでやってきたけれど、人の多さにちょっと疲れてしまった。本はセール対象外だから、他の階よりも人はまばら。スーツ姿の人はさすがに少なくて、店内にいるのは子供連れの主婦だったり、本好きの高齢者だったり、あたしと同じ春休み中の学生だったりしている。
 ファッション雑誌のコーナーには、今春のヒット商品を着た可愛いモデルが表紙を飾っていた。
 あ、このワンピ可愛い。
 ぱらぱらと開いた雑誌で、好みの洋服を見つける。春色のスカートがふわふわ、その下に白のレースがちらちら。さっき買ったニットのカーディガンと合わせれば、軽すぎにはならない。去年買ったけど履く機会がなかったブーツにも、出番を与えてやれる。購買意欲が刺激されたけど、値段を見て諦めた。こんなの、二ヶ月分のお小遣いが飛んでいっちゃう。
 でも何となく諦めきれなくて、あたしはそのページをじいっと見つめた。これ、頑張ったら作ることできないかな。んー、スカートのふわふわをどうするかが問題だけど、頑張れば何とかなるんじゃないかなあ……。
 うーんうーんと、穴が開きそうなくらい見つめて、結局雑誌を買うことにした。電車の時間にはまだ余裕があったけど、その時のあたしは両腕に鞄と紙袋を提げていて、ずっと立ち読みするのが辛かったのだ。
 レジは店員さんが一人しかいなくて、間の悪いことにあたしを含めて三人の客が、ほとんど同時に商品を持って行く。
「あ。お先どうぞ」
 真っ白の髪のおばあさんに順番を譲る。おばあさんは「ありがとうね」と大判の本を店員さんに渡した。おお、定番の『3分クッキング』。うちの台所の隅にも、昔の本がある。ほっこりしてしまって顔を緩めた後、レジに並んだもう一人を見る。
 男の人だった。
 身長高い人だなあ、というのが第一印象。
 と言っても、あたしは女子の平均身長を大幅に下回っていて――この間の健康診断の測定では、147.7センチだった――大体の人は、男性でも女性でもあたしよりは高い。
 よく見れば、175センチくらいの身長だとわかった。そうか、顔と体のバランスがいい人なんだ。だから高く見えるんだ。手芸部で養った目を活かして、身長、胸囲、腕回りのサイズを予想。うん、理想的なサイズだ。何だか嬉しくなる。
 男の人はスーツを着ていた。ネイビーの小紋柄のネクタイを結んでいて、顔には眼鏡。典型的なビジネスマンって感じで、この時間帯だと少し目立つ。
 あれ、この人どこかで……。
 男の人は、あたしを見下ろした。
「……えーと」
 困ったような、戸惑ったような。彼が少し首を傾げた。
「何かついてる?」
 それで気づいた。しまった、あたし、さっきからじろじろと見つめすぎだ。これじゃ変な人だ。
「い、いえ。すみません。あの、お先どうぞ」
 慌てて顔を下げて、レジの順番を譲る。
「こっちは後でいいよ。重そうだから、君が先にどうぞ」
 反対に譲られてしまう。ちょっとだけ迷って、甘えさせて貰うことにした。セールだからって買いすぎた服が、どんどん重くなってきていたから。男の人はビジネスバッグも持っていなくて、片手にあるのは単行本が数冊。もしかしたらこの近くの会社なのかなあ、ごめんなさい、ありがとうございます。
 前のおばあさんは、受け取ったお釣りをがま口の財布に入れていた。もう少しで順番が回ってきそうだなと思っていると、奥から別の店員さんが駆けつけてきて、隣のレジを稼働させる。「お次の方、どうぞ」
 あたしが雑誌を差し出してお金を出していると、おばあさんが書店を出て行って、元の並んでいたレジに、さっきの男の人がやってきた。隣り合わせだから、彼が買う本が全部見える。
 わあ、将棋の本だ。三冊全部。この人、将棋を指す人なんだ。
 その時、ふと心によぎるものがあった。
 何だろう、何だろう。ぐるぐる頭の中で回るものがある。
 彼がお尻のポケットから革の財布を取り出して、五千円札を選ぶ。袖口から腕時計が覗く。黒い革バンドの時計は、文字盤がアラビア数字で、中の歯車が見える丸い穴が開いていた。アンティーク調の時計だ。
 あれ、また何か引っかかる。将棋を指す、アンティーク時計を身につけた人。あれ、あれ。
「740円のお返しです」
「あっ、は、はい」
 店員さんの言葉に、慌てて前を向いてお釣りを受け取った。財布に入れていると、隣の人はもう本を受け取っていて、さっさと背を向けて書店から出て行く。わたわたと財布を鞄に突っ込んで、ナイロン袋に入れられた雑誌を受け取り、あたしはダッシュして彼の後を追った。
 もしかして、もしかして。
 一つの可能性が浮かんだ。もし予想が当たっていたら、きっとそれはとんでもなく、あたしにとっては奇跡に近い。
 さすがに男の人は、歩くのが速い。彼はもう、下りのエスカレーターに乗っていた。エスカレーターは吹き抜けのホールに面して設置されている。あたしは側面の手すりがあるところまで走って、下を覗き込んだ。彼の頭のてっぺんが見える。
「鷹幸兄さん!」
 可能性に賭けて、声を張り上げた。
 もし違ったなら恥ずかしくて仕方がないけれど――その時はさっさとこの場を後にしなければ――彼は呼びかけにすぐ反応してくれた。
 上を向いた鷹幸兄さんと目が合う。鷹幸兄さんって、眼鏡をかけていたっけ。あたしは紙袋を持ち直して、エスカレーターに乗った。
 鷹幸兄さんは、下で待ってくれていた。あたしは下に着くと、どきどきしながら鷹幸兄さんに近づく。
「鷹幸兄さん」
 鷹幸兄さんは首を傾げながら、
「ええと――、違ってたらごめん。その呼び方、萌ちゃん?」
「うん」
 あたしはにっこりと笑った。自信なさげだったけれど、ちゃんとあたしのことを覚えてくれていた。それがとても嬉しくて。
「うわあ、久しぶりだなあ。全然わからなかったよ。よく俺のことわかったね」
「うん」
 本当はきっちりと覚えていたわけじゃなかったけど、許容範囲内だよね。鷹幸兄さんとは六歳の時以来、全く会っていないんだから。
 兄さんって呼んでいるけど、鷹幸兄さんは実の兄ってわけじゃない。近所のお兄さんだ。小学校に上がる前に引っ越すまでは、あたしたち家族はお父さんの実家がある田舎に住んでいて、近くに鷹幸兄さんの家があった。鷹幸兄さんの実家は老舗の温泉旅館を営んでいて、一人っ子で鍵っ子だったあたしは、家に帰るよりもその旅館に遊びにいくことが多かった。おじさんやおばさんはとても良くしてくれたし、温泉は入り放題だったし、何よりもあたしは、鷹幸兄さんのことが大好きだった。まるで刷り込みをされた雛鳥みたいに、鷹幸兄さんの後にくっついて離れなかった。鷹幸兄さんの趣味は将棋で、温泉上がりのおじいちゃん達とよく指していたのを覚えてる。
「兄さん、どうしてこっちにいるの?」
 あたしがこっちに引っ越してから、鷹幸兄さんと会うことはできなくなってしまった。田舎にはもうおじいちゃんもおばあちゃんもいなかったから、お盆もお正月も帰省することがなくて。田舎は山奥だから交通手段が限られていて、鷹幸兄さんに会いたいと泣いても、あたしの願いは叶えられることがなかった。
 もうきっと会うことはないと、鷹幸兄さんの存在は記憶の引き出しの奥に仕舞われていたのに、まさかこの街で会うなんて。
「引っ越したんだよ。萌ちゃんたちが出て行って、三年くらい後だったかな」
「えっ、兄さんのところも?」
 老舗の旅館はどうしたのかな。すごく田舎だったけど、温泉自体は人気が高くて有名だから、年中たくさんのお客さんが訪れていたのに。
「いや、俺だけ。就職先が、こっちの方が便利だから」
「あ、そうなんだね」
 うちも引っ越しの理由は、お父さんの仕事関係だったからよくわかる。田舎はやっぱり、職が少ない。
「鷹幸兄さん、もし時間あったら……」
 せっかく再会できたんだから、喫茶店にでも入って、ゆっくりお話がしたい。
 と思ったんだけど、鷹幸兄さんは「ごめん」と謝った。
「この後予定が入ってるんだ。久々に会えた萌ちゃんを優先してあげたいけど、ちょっと難しいかな」
「そう……」
 スーツを着ているんだから、お仕事の途中なのかもしれない。たぶんきっとそう。残念だけど、お仕事の邪魔はダメだよね。あたしは春休みだけど、鷹幸兄さんは違うんだから。
「うん、わかった。無理言ってごめんなさい」
 鷹幸兄さんは優しい顔で笑うと、腕時計で時間を確認してから、胸ポケットのボールペンを手に取った。財布を取り出して、中からレシートを一枚抜き出す。その裏面に何かを書いて、あたしにくれた。
「こんなのでごめん。俺の連絡先」
 白いレシートの裏面には、携帯番号が書かれていた。
「あっ、えっと、えっと」
 あたしは慌てて鞄の中を探って、手帳に挟んでいた名刺を取り出す。名刺って言っても、手芸部の友達とお遊びで作ったファンシーなやつで、ビーズやレースの切れ端でデコレーションした、非実用的なもの。
「これ、あたしの」
 名刺を受け取った兄さんは、それを見て驚いた後、笑っていた。
「また連絡するよ」
「うん。絶対、絶対ね」
 手を振って別れる。
 六歳の時は、無理矢理車に押し込まれて、鷹幸兄さんの名を呼びながら泣いて泣いて、それはもう未だに家族の話のネタになるくらい泣きわめいた別れだった。
 でも今度は違う。「また」がある。
 それがとても嬉しくて、あたしは鷹幸兄さんの背中が見えなくなるまで、そこに立ち尽くしていた。
 また会う時までに、雑誌に載っていたワンピースを形にしてみよう。想像すると、とてもわくわくする。
 デパートの外の並木道は、満開の桜で春色に彩られている。
 夜、早速電話をしてみようかな。なんてことを考えた。




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